【源氏物語を読む】
『新潮日本古典集成源氏物語』若紫巻
p.207,l.12「殿にも、おはしますらむと心づかひしたまひて、」~p.210,l.8「いかが聞こえむと、おぼしわづらふ。」
左大臣と共に内裏を退出した光源氏は左大臣邸に到着します。光源氏が通っていなかった間にも邸は「玉の台」のごとく飾りつけられ整えられていました。これは光源氏を迎えるための準備であり、大切に扱われていることには他ならないのですが、それだけ婿として期待がかけられていることもあり、光源氏にとってはプレッシャーを感じた場面でもあったと思います。正妻である葵上は左大臣に言われるまで「はひ隠れ」たままで、前に出てきても光源氏に対してそっけない態度をとり続けます。この場面の葵上の様子は「ただ絵に描きたるものの姫君のやうに、しすゑられて」と書かれており、態度の冷たさがよくわかりました。葵上の態度を心外に思った光源氏が「いかがとだに問はせたまはぬこそ、めづらしからぬことなれど、なほうらめしう」と言ったことに対して葵上は「問はぬはつらきものにやあらむ」と一言のみを返します。これに光源氏は「まれまれは、あさましの御ことや。問はぬなどいふ際は、異にこそはべるなれ。」と怒ります。この会話の中では「問はぬ」が三度出てきますが、最初の光源氏の「問はぬ」は①自分の体調について尋ねてくれないのかという意味、葵上の「問はぬ」には、②光源氏の言葉を受けた「尋ねる」と、通うことを指す「訪ねる」の二つの意味、それを受けた光源氏は③「訪ねる」の意を拾い上げて言葉を返しています。葵上が「問はぬ」に込めた二つの意によって「私(葵上)が体調を尋ねないこと、あなた(光源氏が)通ってこないことはつらいものでしょうか」という光源氏への皮肉が生まれています。それに対する光源氏の返答の文章量も印象的で、葵上の一言の強烈さと、それに取り乱す光源氏の様子を読み取ることができます。
結局光源氏は「よしや命だに」(引歌的表現と思われるが典拠不明)と言って寝所に向かいますが、葵上はついては来ず、眠そうなふりをしながらあれこれと思い悩む様子が描かれます。
次の場面では、北山で垣間見た少女(若紫)のことがやはり気にかかり、なんとか少女を引き取りたいという光源氏の心中が描かれます。その翌日、光源氏は北山に手紙と和歌を送ります。「おもかげは身をも離れず山桜心の限りとめて来しかど」という光源氏の歌の「山桜」は、前の場面で光源氏が都に帰る際に僧都に贈った歌を踏まえていて、紫上を喩えた表現として用いられています。また、この後に添えられた「夜の間の風も」という言葉は『拾遺集』の歌からの表現と思われますが、他の人に引き取られてしまわないか心配であると解釈することができます。光源氏の心情としては「この若草の生ひ出でむほどのなほゆかしきを」とある通り、現時点では成長を近くで見たいという程度であることがわかりますが、これらの手紙や和歌は大分恋愛的手紙だと感じました。この後尼君からの返歌が描かれますが、和歌のやりとりが一切なかった前の場面と対比的に描かれている点も印象的でした。
文責:髙野
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