2023年の活動

9月16日

【源氏物語を読む】

『新潮古典集成源氏物語』夕顔巻

p.174,l.12「かの片つかたは、」〜p.177,l.2「念誦をいとあはれにしたまふ。」


今日はp174(軒端の荻と光源氏の手紙のやり取り)~p177(夕顔の49日)の2行目までを読みました。

今回特に印象に残ったことを、前半と後半に分けて紹介します。

前半では、軒端の荻と光源氏のやり取りはいかがなものか、という意見が出ました。

軒端の荻は光源氏と関係を結んでいながら夫を設け、さらに光源氏とも手紙のやり取りを続けています。

光源氏も光源氏で、夕顔を失ったことで悲しみに暮れていると思いきや、「俺だってわかったらきっと相手の旦那さんも多めに見てくれるだろ」と空蝉と軒端の荻に手紙を送っています。

お互い相手がいる中でのこうした手紙のやり取りは、現代の倫理観では考えられないなと思いました。

しかし、先輩や先生と話し合う中で、「軒端の荻の明るく周りに元気を与えるような人柄や、光源氏が落ち込み続けることなく他の女性に目を向けるコミカルな所は、登場人物の魅力なのではないか。」という意見を伺い、このシーンの印象が変わりました。

 

私は、登場人物の死という悲しい場面から物語の緩急をつけるという点で、この手紙のやり取りのシーンは読み手を飽きさせない工夫の一つとも言えるので面白いなと思いました。

 

後半では、夕顔の葬儀の内容や49日までの様子は、光源氏が初めて喪う女性ということもあり詳しく描かれているという意見が出ました。

また、夕顔とのエピソードには「宿世」という言葉が多く使われていることから発展し、源氏物語は「満たされない人が多い」という話をしました。

そして満たされないことからくる無常観から、逃れられないものとして現実を受け止めるために「宿世」という言葉が使われたのではないかと話し合いました。

 

今回はエピソードの内容だけでなく、源氏物語全体のテーマについて話を伺ったり、意見を話したりすることができて、いつも以上に勉強になりました。ありがとうございました!


文責:瀬川