【源氏物語を読む】
『新潮古典集成源氏物語』夕顔巻
p162.l14「あたりさへすごきに」~p164.l164「胸もつと塞がりて出でたまふ。」
今回は、光源氏が夕顔の遺体に会いに、右近たちのいる家屋に戻ってきた場面を扱いました。
周囲は気味が悪いうえに、板屋の傍らに堂を建ててお勤めをしている尼の住まいは、とても物寂しい様子でした。光が微かに透けて見えます。右近がただ一人泣く声がして、外の方には法師らが2、3人話をしながら、声に出さない念仏を唱えています。
現代でもお葬式などで、さっきまで高らかにお経を唱えていたはずのお坊さんが、突然声を落として口の中でもにょもにょと呟きはじめたので、驚いたという経験がある人もいるのではないでしょうか。
『集成』には、「葬送以前に無音の念仏を称えると、十五功徳があるといわれる」との注釈がありました。
喉を休めているのかと思っていましたが、ありがたい念仏なんですね。
源氏が板屋に入ると、夕顔の乳母子である右近が、遺体と屏風を隔てて臥していました。これは死の穢れをもらわないために場所を隔てているのではなく、普段から夕顔と右近はこういう風にして眠っていたので、いつ主人が起きてもよいように控えている描写と捉えられるという話を聞きました。同じ部屋にいる時点で、死の穢れは受けているようです。
遺体はまだ変わったところもなく、かわいらしい様子なので、光源氏は死の穢れも厭わずに遺体の手を取り、「われに今一度声をだに聞かせたまへ」と呼びかけて、どんな前世の定めがあったものか、たちまちのうちに心底いとおしいと思えたのに、自分を捨てて悩ませるのはあんまりだ、などと続けます。声を出して泣く光源氏を見て、僧たちも涙を落としました。
その後、光源氏は右近を二条の院に移動するよう言いますが、右近は夕顔の死のショックで「何処にか帰りはべらむ」と泣き崩れてしまいます。
光源氏はその気持ちに同意を示しながらも、「同じ命の限りあるものになむある。思ひなぐさめて、われを頼め」と言って聞かせました。そう慰めながらも、「かく言ふわが身こそは、生きとまるまじきここちすれ」などとも言っています。光源氏は心残りを感じながらも、板屋を後にしました。
今回は、夕顔の遺体に会いに戻ってきた光源氏と、悲しみに暮れる右近が印象的でした。
夕顔の死の穢れを恐れることよりも先に離別の悲しみに沈む二人は、当時の読者たちからも、夕顔をとても大切に思う二人に見えたことでしょう。
個人的には、浮舟の死(実際には失踪)を知った乳母子の右近が取り乱すシーンを思い出す場面でした。作者は、幼い頃からともに過ごした乳母子との絆と離別の苦しみを、作中一貫して大切に書いているのだと感じました。
文責:奥山
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