【源氏物語を読む】
『新潮古典集成源氏物語』夕顔巻
p.152,l.14「この男召して」~p.154,l.12「おぼしめぐらす。」
前回では、とうとう夕顔が動かなくなってしまいました。今回はその後の、光源氏が夜を明かす様子を読んでいきました。
管理人の子に光源氏が、「ここに魔物に取り付かれたものが苦しそうにしているので、惟光の朝臣が泊っている所に行って、急ぎ参れと命ぜよ。もし運よく阿闍梨(惟光の兄)がいたら、ここに来るように言え。」と言って行かせます。
光源氏自身、何とか口をきけて、夕顔を死なせてしまったらどうしよう…と考えている状況の中、辺りは木々がざわめき、異様な鳥の声で寂れて薄暗く、勿論人の声もしない。光源氏はここでやっと、どうしてこんな馬鹿げたところに来たのかと後悔します。右近は、わなわな震えて今にも死にそうな様子で光源氏にしがみついており、夕顔は今まで通り倒れたままなので、今ここでちゃんとしているのは自分だけ…。更に火は瞬いて、みしみしと足音が聞こえて…、惟光早く来てくれ~と思う夜は、まるで千年夜を超すような心地がしたそうです。
やっとのことで、鶏の声が聞こえてきます。現代では鶏の鳴き声、と言いますと朝の訪れの合図と思う方が多いと思うのですが、それは平安時代も同様で、さらに鳴き声と共に魔は去ると考えられていたようです。
光源氏は安心したのか、余計なことを考えていきます。どんな因縁があってこんなことが起きるんだろうか…。自身の女関係のあれこれが原因か…? このことはお父さんの耳にも入るだろうし、他の人も噂するだろうし、うつけ者と言われるに違いない…! と。
今回はここで時間切れ。前回から続いていた夜がやっと終わりましたが、光源氏の心の安寧は、まだお預けのようです。
この場面で印象深いのは、惟光とその母(光源氏にとっての乳母)と光源氏との関係性です。管理人の子に惟光を呼んでもらう際、光源氏は要約の他に、「かの尼君などの聞かむに、おどろおどろしく言ふな。かかるありき許さぬ人なり。」((この状況に関して)もしあの尼君(乳母)に会っても大げさに言うな、こうして忍んでいることをやかましく言う人だから…。)と言います。
光源氏は実母を早くに亡くしているし、新しい母も、光源氏にとっては母、よりもディープな関係の対象であったために、母と明確に呼べる存在がこの乳母なんですね。所謂、オカン特有のやかましさは、実子の惟光や阿闍梨と同じくらいに光源氏も知っているんです。対して乳母も同じで、長い間実子と同様に育ててきた光源氏は、もはや息子同然なのです。息子がガールフレンドを連れてお屋敷で一晩過ごした挙句そのガールフレンドが倒れちゃったなんて知ったら、そりゃあやかましく追及しますし、息子も追及されるのは嫌だから、母の知らないことはあまり多く言わない…。現代でも同じですよね。
一方、惟光と光源氏の関係は…、言うまでもなく、乳母子同士の強い絆がある関係であることを皆さんご存じだと思います。今回の場面の光源氏は、夕顔は倒れているし、右近は今にも死にそうだし…、しっかりしているのは自分だけ、という大変な状況になります。その時に頼るのは、やはり惟光です。「惟光疾く参らなむとおぼす」と、乳母子の関係で部下であるとはいえ、こういうピンチに頼りたいと思えること、二人の間に強い絆があることが強く伝わってきます。
今週は朝が明けて終わりましたが、さて、来週こそ惟光が到着するのでしょうか。光源氏はどうなってしまうのでしょうか。これからの読解が、とても楽しみです。
文責:根本
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