【源氏物語を読む】
『新潮古典集成源氏物語』夕顔巻
p.172,l.10「「はかなびたるこそは、」〜p.174,l.11「思うなりけり。」
光源氏と右近の会話の続きからです。右近が夕顔について「ものはかなげにものしたまひし人」と評したことに対して、光源氏は「はかなびたるこそは、らうたけれ。」と返します。その後にも、女性は素直で、男に騙されそうでありながらも慎み深く、夫に信頼を寄せる人など、理想の女性について話します。右近への返答から始まった発言ですが、帚木巻の雨夜の品定めを彷彿とさせました。
それに対して右近は、夕顔は光源氏の理想にぴったりであったと泣き、光源氏も物思いに沈んで和歌を詠みます。上の句に「見し人の煙を雲とながむれば」とあります。火葬の煙が雲になるという表現は哀傷の表現としてよく見られ、葵巻でも登場します。現代では煙を見ることもあまりないですが、物悲しくて好きな表現だと思いました。光源氏の歌に対して右近は返歌もできず、夕顔が生きていればと思い、光源氏も夕顔の屋敷にいた際に聞いた砧の音を思い出しては夕顔を恋しく思い、故人を偲ぶのでした。
後半に読んだ部分は空蝉との文通の場面です。光源氏の元に小君が来ても、光源氏は以前のような言伝もしません。空蝉は光源氏のと関係はもう終わってしまったと思いつつも、伊予に下る前に光源氏に文を送ります。光源氏も返歌をして空蝉が残していった小袿に心を動かします。お互いに情のあるやり取りをするのですが逢瀬に繋がることはしません。空蝉は前の巻で光源氏を最後まで拒むものの、嫌うことはできませんでした。今回も、逢瀬のことは考えないが、源氏から「いふかひなからず」とは見られたくないという葛藤が見え、切ない場面でした。
今回は夕顔を偲ぶ場面から空蝉とのやり取りの場面を読みました。空蝉を再び登場させることで巻のつながりが見えると共に、夕顔巻の内容が夕顔との死別のみにとどまらない内容になっていると感じました。次の軒端の荻とのやり取りも楽しみです。
文責:髙野
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