【源氏物語を読む】
『新潮古典集成源氏物語』夕顔巻
p177,l.3「頭の中将を見たまふにも」~p178,l.6「おぼしいづるにもゆゆしくなむ。」
以下、今回の範囲のあらすじです。
(源氏は)頭の中将をご覧になるにもむやみに胸が騒いで、夕顔の遺児が生い立つことを教えてやりたいのですが、責められることを恐れて口に出せない様子です。
あの夕顔の宿では、(夕顔は)どこに行ったものかと心配していましたが、お捜し申すことが出来ないで、右近さえ消息がないので、妙なことだと嘆きあっていました。
確かではないが、様子からして源氏ではないかと囁き合って、惟光に文句を言ってみますが、惟光は無関係であると言い紛らわせ、あいかわらず好色な様子なので、前にもまして夢のようで、もしかしたら受領の子で好色なのが、頭の中将を恐れて夕顔を地方に連れて行ってしまったのであろうかと想像するのでした。
この宿の女主人は、西の京の乳母の娘です。その乳母の子は三人いて、右近は違う家の者だから、分け隔てして夕顔の様子を聞かせてくれないのだと思い、泣き恋しがっていました。
右近の方は、うるさく騒がれると面倒であると思って、源氏も夕顔のことを黙っているので、幼い姫君のことを聞くに聞けず、すっかり消息不明のまま過ぎていくのでした。
源氏が「せめて夢で会いたい」と思っていると、四九日の法要をなさった翌晩、夕顔がほのかにあの某の院のまま、枕上の女の姿も同じように夢に見えたので、荒れている場所に住む魔性のものが、自分に目をつけた巻き添えで、このようなことになったのかと、思い出すのも気味が悪いことです。
久しぶりの参加だったので夕顔巻の設定をうまく思い出せず、今回はほとんど話を聞いているだけでしたが、先生が図を描いてくださったので西の京の乳母や夕顔の両親のことについて理解出来ました。東の京と比べて、この乳母のいた西の京はあまり土地が良くなく、発達していない場所であるというイメージがあるという話も聞けて、よい復習になりました。夕顔に乳母が二人いることを知らなかったので、あやうく不適当な解釈をしたまま先を読んでしまうところでした。
また、紫式部の時代は乳母制度の過渡期であったのではないかという話を聞くことが出来ました。
個人的には、 『平家物語』(鎌倉時代に成立とされる)の乳母に関わる話を読んだ時は、貴人の子の乳母という職は、当時の女性にとって身分が安定する、これからの立場が良くなる、良い職であるという印象を受けました。
今回、出産適齢期である女性を他の家に出仕させるのは良いことではないとも考えられていた、という話を聞き、その発想が今までになかったので、興味深く思いました。誰がどのように、どこで子どもを養育するのか、という問題には、どの時代の人も頭を悩ませていたのでしょう。
次回で夕顔巻は最後になります。どのように話が閉じられるのか楽しみです。
文責・奥山
あなたもジンドゥーで無料ホームページを。 無料新規登録は https://jp.jimdo.com から