2023年の活動

4月27日

【源氏物語を読む】
『新潮古典集成源氏物語』夕顔巻
p.150,l.1
「風すこし」~p.151,l.7「せむかたなきここちしたまふ。」

前回に引き続き、不穏な雰囲気が描かれています。
宿直の者も少ないのに皆寝ているので、光源氏は、呼ばれて起きた院の管理人の子に「紙燭さして参れ。随身も弦打して、絶えずこわづくれ、と仰せよ。人離れたる所に、心とけて寝ぬるものか。」と言います。
弓の弦を鳴らしたり、声を出して警戒したりと、夜の院の不気味な気配を打ち消そうと手段を尽くしますが、光源氏が戻っても、夕顔は横たわり、右近もその側に伏せて怖がっていました。
光源氏は怖がる二人に「あなもの狂ほしの物懼や」と言って呆れますが、それから夕顔の様子を見ると、彼女が息をしていないことが分かります。
光源氏は、夕顔はとても子供じみたところのある人だから、何かに魅入られたのかもしれない、とどうしようもない気持ちになるのでした。

さすが《光》源氏、と言うべきか、「あなもの狂ほしの物懼や」「まろあれば、さやうのものにはおどされじ」などと、少なくとも言葉の中からは、この異様な状況を恐れる様子が見られません。強いて言うなら、滝口の武士(清涼殿の北東にある滝口に控えて、警備を担当する者。清涼殿には光源氏の父・桐壺帝がいる)らしく振る舞う預かりの子を見て、宮中を思い出す様子からは、光源氏もすこし心細く感じているようにも読めるでしょうか。
現代のホラー作品でも、異様な状況の中で誰か一人は平気な人がいて、怖がるみんなを茶化したり「俺はあっちを見てこようかな」なんて歩き回ったりするキャラクターがいるものです。
ゾンビ映画だとそういう人がまっさきに感染してしまいますし、サスペンス映画でも一番に殺されてしまいます。しかしこの『源氏物語』では、一番怖がっていた夕顔が亡くなってしまうので、何だかとても可哀想でした。
(もちろん、光源氏は無意味に平気でいただけではなく、冷静にいろいろ考えながら人に指示を出して、正しく対処をしているので、ただ警戒を怠って犠牲になるようなキャラクターとは違いますが)
緊迫した場面におけるキャラクターの立ち回りに、千年前と現代で共通する描かれ方を見つけることが出来て、個人的には興味深く思いました。

文責 奥山