【翻刻】
大正大学蔵『源氏物語』桐壺巻
二十丁裏~二十一丁裏
【源氏物語を読む】
『新潮古典文学集成源氏物語一』帚木巻
P97.L13「例の、内裏に日数経たまふころ」~P101.L3「なかなかあはれにおぼさるとぞ。」(帚木巻最後)
内裏で数日過ごした光源氏が左大臣邸へ行く際、再び方違えのために紀伊の守の元へ向かう所から読みました。空蝉目当てでやって来た源氏の内心を知らない紀伊の守は彼を歓迎します。源氏に頼まれて彼と空蝉の仲を取り持とうとする、空蝉の弟の小君。弟にそんなことをしてはいけないと叱りつけ、源氏が嫌いというわけではないけれど彼からのアピールも断る空蝉。そんな彼女だからこそ心が惹かれる一方で心苦しくも感じ、かといって諦めることもできない源氏。結局2人の仲は進展せずに、源氏と小君は2人で寝ることとなります。近くで臥した源氏の様子を素晴らしいと思っているような小君の方が、源氏からすれば空蝉よりもかえってかわいく思われるとか。
まず、「方違へ」について、これは当日決まるものではなく、事前に暦の上で定められていたという解説がありました。つまり、源氏は偶然を装って紀伊の守の元へ行っていますが、実際は空蝉に会うためにわざとこの日取りで左大臣邸へ向かったということです。左大臣家からすれば、普段は内裏でばかり過ごしている上に、方違えを言い訳に紀伊の守邸へ行ってしまう源氏に対しては、何かしら思うところはありそうです。しかし、個人的には甘酸っぱい青春のようだとも読めるため、少し微笑ましくはあります。左大臣邸に奥さんはいたはずですが。
次に、源氏の思惑を知らない紀伊の守について、色恋沙汰からは完全に蚊帳の外のような扱いで、所謂物語のアクセント程度に描かれています。『源氏物語』ではしばしばそういった登場人物が出てきて、そこに面白さや悲しさがある、という解説がありました。登場人物の中でも持っている情報量に差があり、それを物語の面白さに繋げている点に、現代の物語との共通点があるように感じます。これからもこういった場面はたくさん出てくると思うので、誰が何を知り、何を考えているのかに引き続き注目していきたいです。
そして、物語中で男性が何度も同じ失敗をする様子が描かれていることについて、その中で何を得るのか・現代との共通点などが話題に上がりました。また、貴族社会ならではの交友関係の狭さや、その環境から出たとしても結局はいつもと同じことをしてしまう源氏について等、『源氏物語』の全体像を知っているからこその感想も見られ、面白かったです。この物語中での男性は、身分と愛情があっても人間としては完全無欠ではない、という描かれ方がされるというお話がなんとなく印象に残っています。また、学習しない源氏に対する辛辣な意見も見られましたが、個人的には源氏のそのエネルギーは凄いなぁと感心してしまう次第です。そのエネルギーがあるから、『源氏物語』の主人公が張れるのでしょう。
最後に、この巻の最後の贈答歌で「帚木」という言葉が登場します。巻全体を象徴する歌ことばが巻名となることが多いそうです。近づくと消えてしまうという帚木のように、自分になびかない空蝉を前にしてうまくいかない、それでも心惹かれてしまう源氏の気持ちが巻名にも出ているなと思います。
今回で「帚木巻」は読み終わったため、巻全体を通した感想を共有しました。
内容に関しては、この巻にはコミカルな話もあり、光源氏の成長や若さ故の失敗を通して彼の考え方に触れることができたというものがありました。また、当時の文化や価値観などがわかるのが面白いという感想もありました。後者については、きっと他の巻でも共通して楽しめると思うので引き続き丁寧に読んでいきたいです。
文章について、巻の最初と最後がきれいに繋がっているところに注目した感想が出ました。作者の構成力やバランス感覚など、巻を1つ見るだけで作品のすごさが伝わってくるなと思います。
最後に個人的な感想を少しだけ失礼します。この巻は、今どこで何の話をしているのかが分かりやすく、場面転換も、前半の3分の2程度は雨夜の品定め、残りは空蝉とのあれこれといった風に、非常にはっきりしていたように感じました。スピンオフ的な性格の巻だというお話が最初にありましたが、古文初心者には大変有り難かったです。「桐壺巻」はかなり難しいと感じたため、比喩ではなく本当の「桐壺源氏」にならないためにも、「桐壺巻」では源氏の生い立ちをさらっと確認する程度に留めて、「帚木巻」から読み始めても良いのではないかと思いました。
文責:門井
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