【源氏物語を読む】
『新潮日本古典集成源氏物語』02帚木巻
p.94,L.12「さて五六日ありて、」〜p.97,L.12「おぼしわづらふ。」
前回までの光源氏と紀伊の守の会話の数日後、小君が源氏の元にやってくる場面から読みました。小君の落ち着いた様子に、自分の空蝉への思惑を伝えることに気が引ける光源氏でしたが、空蝉とのことを小君に話した上、手紙を届けさせるという行動に出ます。空蝉はひどく衝撃を受けて自分の身の上をさらに嘆くことになりました。また、空蝉が「かかる御文見るべき人もなしと聞こえよ」と手紙の返事を拒否する姿勢を見せましたが、小君は笑って「違ふべくものたまはざりしものを、いかがは申さむ」と言います。空蝉からすると、弟に秘密が知られた上、光源氏の手助けをしているという状況はとてもいたたまれないものであったと思います。さらに、義理の息子である紀伊の守もまだ若い空蝉の境遇を「あたらしきもの」(もったいない)と思って、自分が空蝉に気に入られるために小君を連れ歩くという下心がある様子が描かれ、空蝉の逃げ場がない状況がよくわかりました。
その後も小君を介した手紙のやりとりが続きますが、空蝉が幼い小君によってうっかり手紙が人目に触れることを恐れる描写がありました。当時は手紙という形に残るものでのやりとりが常であったため、手紙が手違いによって人目に触れてしまうことはは起こり得ることでした。また、それによって、浮気が発覚してしまったり、浮名を流されてしまうなどの事態は『源氏物語』内でも描写があります。当時の女性は世間に悪い評判が流れるということを非常に恐れていました。空蝉の心配はもっともであり、そう言ったことに気を回すことができる思慮深い女性であることもわかる描写でした。光源氏の方も小君を内裏に連れて行ったり、装束を整えてやるなど親のように世話をして、ただ文のやり取りに利用するだけではない様子が見えました。また、紀伊の守の家を軽々しく訪ねることで空蝉が気の毒になるという配慮をする様子もあり、強引なだけではない光源氏の性格が現れた部分でもあったと思います。光源氏は空蝉のことを「心苦しくも恋しく」思っており、この「心苦し」という表現はこれまでの箇所でも何度か登場しています。光源氏は自分が空蝉にしていることを決して良いことだとは思っておらず、空蝉の内心も理解して「心苦しく」感じています。そのように感じながらも恋を成就させようとすることは難儀な性格だとも思いますが、物語を面白く、また先に進ませるためは必要な要素であり、光源氏が主人公として成り立つ理由の一つであると感じました。
話の展開を追うことはもちろんですが、一つの単語に注目してみると、人物の考えや性格がわかり、おもしろく感じました。帚木巻もあと少しなので、色々な表現に注目しながら読みたいと思います。
文責:髙野
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