2022年の活動

5月28日

【源氏物語を読む】

『新潮日本古典集成源氏物語』02帚木巻

p.75,L.2「「式部が所にぞ、」〜p.59,L.14「さぶらひなむや」とて、をり。」


(感想)


 前回の頭中将の話に続いて、今回は式部の丞の体験談が語られました。相手の女性は非常に賢く、式部自身も色々と助けられ恩義を感じていながら、その賢さに太刀打ちできないことから妻にしようとは思わないという考え方は、なんとも身勝手なものであると感じました。しかしながら、女性の全てを否定するわけでもなく、話の終わりに源氏等から責められても済ましている部分など、憎みきれない人物であるとも感じます。また、相手の女性も、病気の治療のために蒜(ひる=にんにく)を食べたことをあけすけに明かしてしまうことや、歌を詠んで逃げようとする式部を追いかけて素早く返歌してみせることなど、頭は良いけれど、少し変わった人物として描かれていました。人物設定だけではなく、話の展開もこれまでとは異なり、この段全体はとても面白く読みました。

 当時の病気の治療法を具体的に書いていることや、食べ物の名を歌に読み込むことは、他の作品でもあまり例がないようで、当時の習俗であったり、ジョーク的な歌の詠み方をしている部分も注目すべきところであると感じました。


 女性が漢文に精通していることに関して、男性からすると良い印象は抱かれていなかったようですが、漢文に精通する女性にも色々と考えがあったようです。

 清少納言は、『枕草子』において、定子が『白氏文集』にかけて行ったことを理解して行動を起こしたことで、周りから褒められたことを書き残しており、漢文ができることを周りに示したい気持ちが強くありました。一方で、紫式部は、『紫式部日記』において漢文ができることをひけらかすことは男であっても良くないことであるとして、清少納言とは逆の考えを持っていました。しかしながら、紫式部も漢文ができること(むしろ彰子に教えることができるレベルであること)は『紫式部日記』に書き残しており、その行為自体が彼女の自己顕示欲の一端を垣間見えることができる部分でもあると思います。はるか昔の人物ではありますが、こうして考え方や性格に触れることができるのも、作品を読む面白さであると感じます。


文責:髙野