【翻刻】
大正大学蔵源氏物語 桐壺巻
一丁表
【源氏物語を読む】
『新潮古典集成源氏物語』夕顔巻
p.123,l.5「惟光が兄の阿闍梨、婿の三河の守、」〜p.125,l.4「皆うちしほれたり。」
前回の場面で家の中に入った後の出来事が描かれます。家の中にいる人物が紹介されますが、その順番が気になりました。本文では「惟光が兄の阿闍梨、婿の三河の守、むすめ」と紹介されています。惟光の兄、お婿さん、そして尼の娘の順番ですが、現代の感覚では、親族である惟光の兄、尼の娘(惟光の姉または妹)、そしてその婿の順番が一般的であると思います。本文では身分のある人物を先に紹介しており、現代の感覚と少し異なると感じた描写でした。また、この場面で個人の名前が用いられているのは光源氏と惟光のみであり、光源氏の側近である惟光が特別な存在として描かれていると感じました。
光源氏の乳母である尼は、受戒の利益で回復したものの、やはり世を捨てることは悲しい様子で、そんな母の様子を子供達は見苦しく感じています。この場面を読んだときに、子供達は少し冷たいと感じましたが、家族のみっともない姿を人に見せるのは恥ずかしいと感じることには共感できました。また、だからこそ光源氏の尼に対する気持ちが際立つ場面であると感じました。光源氏は尼に対して「さらぬ別れはなくもがなとなむ」と言っていて、これは在原業平の有名な歌を引いた表現です。この歌は「母親と死別することなどないように」という気持ちが込められており、尼を母親と思っている光源氏の心情がわかる表現でした。
桐壺巻では桐壺帝と桐壺更衣の話が主体となっており、光源氏はあくまで桐壺更衣が残した子供という描かれ方をしていました。しかし、この夕顔巻で親族を亡くした幼い光源氏の心情が明かされ、前の場面の内容を補うような場面でもあったと思います。また、乳母をこのように大事にして見舞うという話は『源氏物語』以外ではあまり例がありません。『源氏物語』には他にも特有の描写が存在していて、紫式部は挑戦心のある人物であると感じました。そして、だからこそ独自性のある、読み継がれていく作品となったのだと感じました。
文責:髙野
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