【源氏物語を読む】
『新日本古典文学集成』空蝉巻
P.116,L1「小君、御車の後にて、」~P.118,L.5「忍び忍びに濡るる袖かな」(空蝉巻最後)
【翻刻】
大正大学蔵『源氏物語』桐壺巻
23丁表、25丁裏~26丁表
小君と共に私邸に戻った源氏は、つれない態度を取る空蝉に対して苦言を呈していました。空蝉への文句を言ったり、小君に恨み言を言ったり、優しい言葉をかけたりした後、畳紙に空蝉をなつかしむ歌を書き、軒端荻は放置して空蝉の小袿を手に入れる源氏。
小君を通じてその畳紙を受け取った空蝉は、自分の小袿を持って行かれたことに気をもみ、軒端荻は理由の分からないままに源氏に捨てられてしまったことを自覚します。
最後に空蝉は、もし自分がかつての身の上であれば、源氏の手を取れたのかもしれないのにと思いながら、源氏からの畳紙に和歌を書き残したのでした。
源氏が畳紙に書いた和歌に、巻名でもある「うつせみ」という歌ことばが登場しました。「うつせみ」という言葉は、上代(『萬葉集』のあたり)までは「現世」「人の世」などの意味で用いられていました。「はかないもの」というイメージで使用され始めたのは『古今和歌集』の辺りで、「空蝉」「虚蝉」などの当て字が使用されてからとのことです。また、「空蝉」と「(蝉の抜け)殻」を一緒に使用している和歌もあることから、「空蝉」=「蝉そのもの」という意味を持っていたと考えられます。
さらに、「うつせみ」という言葉は、『源氏物語』が読まれていた当時は一般教養であった『古今和歌集』において、哀傷歌(人との別れ、特に死別に関する歌)で使用されています。そのため、当時の読者の中には、「空蝉」という巻名を見て、「この巻は悲しい結末を迎えるのかもしれない」と思って読み始めた人もいたかもしれません。しかし、『源氏物語』で和歌に「空蝉」という言葉が登場した直後、主人公の光源氏は自分を振った女性の着物の匂いを嗅いでいました。この主人公の情けなさから来る親近感も、作品の面白さに繋がっているのではないでしょうか。
・・・といった旨のお話を先生がしてくださりました。
ちなみに、空蝉の小袿を持っていって匂いを嗅ぐ源氏の行動に対して、「気持ちは分からなくもないけどちょっと気持ち悪い」という意見がかなり出ました。空蝉本人もそのことについて気をもんでいる描写があるため、その辺りの感覚は今も昔もあまり変わらないのだと思います。
この巻が和歌で締められていることも話題に上がりました。源氏に対してつれない態度をとり続けていた空蝉ですが、本当に彼のことが嫌いだったのではなく、自分の身分や立場などを考慮した結果の振る舞いであったことが書かれています。もし自分の境遇が違ったら源氏へなびいたかもしれないのに、という切なさを感じると同時に、感情にまかせて浮気をしない空蝉の誠実さが感じられる場面です。やるせない思いを抑えきれずに、最後に源氏からの畳紙に古歌を残して巻を締めくくることで、余韻が生まれています。ただ笑わせたり泣かせたりするだけで終わらせず、余韻を残し、柔らかく物語を着地させたところに、作者の力量が表れています。
今回で空蟬巻は終了となります。個人的にこの巻は比較的読みやすく、かなり純粋に物語として楽しめました。個人的には空蝉の弟の小君が好きです。
次回からは夕顔巻に入ります。ストーリーを楽しむだけでなく、ここまで読んできて気になったポイントなどに注目しながら読み進めていきたいです。
文責:門井
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